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2006年2月24日 (金)

「蜘蛛の巣のなかへ」1

 トマス・H・クックの作品は私のメルマガ(「海外ミステリを読む」)で「PERIL」(邦題「孤独な鳥がうたうとき」)までの14作品は取り上げましたが、この作品は当時は翻訳が出来ていなかったので触れませんでした。

 19才で故郷を捨てた男が、20数年後に一人暮らしの父親の死を看取る為に戻って来て、父の死までの3ヶ月をどう過ごしたかを描いた作品です。彼は家族を持たないことを決心し、教師をしながら一人で生きています。そんな息子を父親は「なぜ、そんなことを望むんだ?ひとりで生きて行くなんて」と非難します。それに対して彼は「家族がいた時、僕の人生はどうだったか思い知らされたかも知れないよ」と答えるのです。 

 愛もなく、憎み合う父と母。殺人事件を引き起こし留置所で首つり自殺をした弟。彼との結婚を断った初恋の女性。彼はそういう状況から逃げ出したのですが、戻って来た彼の前に、その逃げ出した過去が立ちふさがることになります。

 「世界の歴史を知らずに生きるのはたやすいが、自分自身の歴史を知らずに生きていくのは容易なことではない」

 町を牛耳る保安官親子。父の過去。弟の自殺。初恋の女性。小さな町の人間模様が悲しく乱舞する物語です。

 この作品は文春文庫から村松 潔氏の訳で出ています。クックの作品を読んだことがない方で、これから読んでみたいと思われる方は、私のHPの「ミステリ資料室」にメルマガのバックナンバーがありますので、参考にして下さい。私は決して結末は明かさない主義なので、その種の心配はありません。

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2006年2月12日 (日)

ヴァン・ダインの伝記6

 ヴァン・ダインは弟と二人で1914年3月に「オリンピア号」でフランスに向かい、1915年3月に「ルシタニア号」でアメリカに戻ったと伝記にはあります。

 この「ルシタニア号」は歴史に残る客船なのです。1915年5月1日にニューヨークを出航し、6日にドイツのUボートに魚雷で撃沈され、1000人を越える乗客が死に、それまで中立を保っていたアメリカは、この事件で反ドイツの気運が高まり、参戦のきっかけになったのです。

 ヴァン・ダインは3月にその船に乗ったわけです。当時、「ルシタニア号」は大西洋航路で最も早い船で、イギリスとアメリカの間を5日弱で渡っていました。 ドイツ贔屓だったヴァン・ダインが戦火に追われて母国に戻る時に利用した船が、そのドイツに撃沈され、アメリカが参戦することになったのですから、運命の皮肉を感じます。

 

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2006年2月 3日 (金)

ヴァン・ダインの伝記5

 ヴァン・ダインの父親は1913年9月12日に63才で死亡します。この頃の彼はニューヨークにいて、「スマート・セット」の編集長をしていました。母親からの知らせで彼は葬儀に出席するために帰省します。遺産のことが頭にあったのかも知れません。この父親には確かに遺産はあったようです。ですが、遺言は驚くべき内容で、二人の息子には一人1ドルだったと伝記作者は伝えています。二人は父親の周りの人々からは「crazy sons」と思われていたようで、父親も息子達は母親の老後をみてくれるとは思わなかったようです。その結果、息子達に2ドルを、そして残りはすべて息子達の母親に遺したそうです。

 ビジネスの世界にいる父親とその周囲の人間から「crazy sons」と思われていたことは、文筆家と画家を目指していた二人の息子にすれば当然のことで、「あそこの息子はいい息子」だと評判がいいようなら商売にしか向いていないわけですから、彼等には勲章みたいなものです。

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