マーロウのロサンゼルス
作家が作中で語る都市観には、その時の心情が本音で出てくることが多いものです。チャンドラーはロサンゼルスに長い年月住んでいましたので、この街をよく知っているはずですが、作品の中ではそんなに多くを語っていません。
「かわいい女」の中に次のような文章があります。「僕」はいうまでもなくフィリップ・マーロウです。
「僕はこの街が好きだった」と前置きして、「ビヴァリイ・ヒルズは田舎町だった。ハリウッドは街道にひとかたまりの小さな家があるだけだった。ロサンゼルスは汚い家が不規則に建っている、陽当たりのいいだだっ広い町にすぎなかったが、人気がよく、平和だった。」と続け、「インテリをもって任じていた連中はアメリカのアテネといっていた。アテネではなかったが、ネオンが輝く貧民窟ではなかった」と結んでいます。
「アテネ」ではないが、「貧民窟」でもないというのが作者の本音でしょう。このあと、さらにこう続けています。
「ロサンゼルスはハリウッドを持っていて、それをいやがっている。幸運を喜ばなければいけないんだ。ハリウッドがなかったら、通信販売の都会じゃないか。カタログにのっているものはなんでも、ほかのところへ行けばもっと質のいいものが手にはいるんだ」
嫌悪感が滲み出ている文章ですが、ハリウッドで脚本家として冷遇されていたチャンドラーの不快感が重なるような気がします。
「長いお別れ」にはこういう文章があります。
「ほかの都市と比べて特に邪悪にみちているとはいえないし、ゆたかで、活気があって誇りを持ってはいるが、うちひしがれて、空虚にみちている都市(まち)だった」
「うちひしがれて、空虚」なのは作者自身のこの時の心情でしょう。酒が切れた時のアル中のような気持でしょうか。
(訳はすべて清水俊二氏です)
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